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松井優征『暗殺教室』

2012年11月25日

松井優征『暗殺教室』は地球の破壊を予告するタコ型の謎生物「殺せんせー」が進学校の落ちこぼれクラスの教師になり、生徒達は日本政府の依頼で教師の暗殺を目論むという漫画である。週刊少年ジャンプに連載されている。

無茶苦茶な設定であるが、読ませる内容になっている。私立椚(くぬぎ)ヶ丘中学校は進学校であったが、3年E組は落ちこぼれ生徒を集めたクラスである。E組の生徒達は様々な面で差別され、自信喪失していた。「殺せんせー」は立派に教師をしており、E組の生徒達も向学心を取り戻していく。

『暗殺教室』の特徴が「殺せんせー」の特異なキャラクターにあることは言うまでもない。加えて落ちこぼれクラスの生徒達を普通の子ども達としている点も大きな成功要因である。かつては落ちこぼれと言えばヤンキーと決まっていた。しかし、ヤンキーでは読者は感情移入できない。ヤンキーは他の生徒に迷惑を及ぼす有害な存在である。むしろ落ちこぼれクラスに隔離することが正しい教育施策と受け止められかねない。
http://book.geocities.jp/hedomura/mccmccmcc3.html

また、ヤンキーの更正物語は使い古された筋書きであり、新鮮味に欠ける。もともと日本社会はヤンキーという迷惑かつ恥ずかしい存在に対して寛大過ぎた。ヤンキーには荒れるだけの原因や理由があるかもしれない。それ故に非行を理由にヤンキーを退学処分にすることが教育者として責任放棄であるかのようなナイーブな論調も出てくる。

しかし、ヤンキーに荒れる原因があるとしても、ヤンキーが暴走行為などで他人に迷惑をかけることを正当化する理由にはならない。他の生徒の教育環境を維持するという視点に立つならば、ヤンキーの事情を無視して問答無用に排除することが教育者として正しい解決策になる。
http://www.hayariki.net/7/49.htm
他の生徒の迷惑を省みず、教育者にヤンキーの抱える問題に向き合わせることを期待することは、ヤンキーの甘えであり、自己中心主義である。相手がヤンキーだからといって、相手に一目置き、相手の心情を理解して向き合わなければならない理由はない。むしろヤンキーの暴言を逆手にとって硬直的な対応をした方が、ヤンキーに甘えを自覚させることができる(林田力「AKB48「カチューシャ」PVで教師役の篠田麻里子の教育的センス」PJニュース 2011年6月3日)。ヤンキーは甘ったれでしかない。周囲がヤンキーの苛立ちや不満を汲み取って温かい目で見守ることは完全な誤りである。

『暗殺教室』の落ちこぼれクラスには問題児はいても、ヤンキーはいない。後の修学旅行編で登場した他校生徒のようにヤンキーは徹底的に外道に描かれている。残念なことに日本のエンタメでは恥ずかしい存在であるヤンキーを持ち上げる作品も少なくないが、『暗殺教室』は異なる。ヤンキーを排除する健全な道徳観が背後に存在することが、一見すると反道徳的な『暗殺教室』を楽しめる要因である。
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